社会に役に立ち、感動を与え、真実を残す出版社

朱鳥社は個人出版を応援しています。

朱鳥社

出版体験記

橘楓佳

自分という轍をつづる

 私が創作を始めたのは、20歳頃からです。どうして物語を書こうと思ったのかといいますと、その頃の私は人生はただ一度、そう思っておりましたし、私が何を思い生きようと、やがて死の沈黙に飲み込まれてしまう怖さを感じておりました。自分の中に“なくしてはいけない何か”が漠然とですがあるように思っておりました。そのことを作品にしようと思いつきを書き始めたら、なんと物語ができあがりました。題名は『氷つばめの秘密』、そしてその合間に戯れ事のように書いた『雪うさぎの冬』。実のところ、どうして自分が400字詰め原稿用紙100枚ほども書けたのか、よくわからないのです。学生時代は10枚どころか5枚の感想文であれ、延々と遠い道のりに思えたのですから。
さて物語は一応結末をみたのですが、日記も書かない私には表現する技術が身についておりません。何度も書き直してみたり、どうすれば「本」になるだろうかと考えてみたり、まったく先が見えないのです。他にも作品を書こうと試みたのですが、どれも完結いたしません。もしかしたら私の耳元で物語をささやいてくれていたミューズが、どこかへ離れていってしまったのでしょうか。
そんなこんなで、最初に書き上げた物語は、小学校に入るときに買ってもらって以来使い続けている古い机の引き出しに、行き先もわからず眠っておりました。何かのコンテストに応募しようとも思ったのですが、私にはこれしかないのです。もし応募して「残念ですが……」となった場合、最後のカードはもうないのですから。
私が36歳になったとき、人生の転機が訪れました。何をしたら人生を全うできるのか迷い、彷徨っておりましたが、ある本との出会いがきっかけでインドを訪れました。それから私にインド文明が押し寄せてきたのです。翌年には職場である農協を退職し、リュック一つ背負って、インド各地を巡り歩きました。そして直線的な人生観であったキリスト教への憧れから、「学びをつづけ輪廻を繰り返す魂が私である」ということが、まだぼんやりとではありますが“事実”として自分の中心を形成しつつありました。
生きて帰れないかもしれないと思い、旅立ったインドでしたが、4ヶ月後、無事に帰国いたしました。問題はこれからです。無事に帰ったのはよいのですが、仕事がありません。何社も面接を受けますが、折しも社会は不況の最中。私を採用してくれる会社はありません。でも、働かなければ暮らしていけません。インド各地で「喜捨をくれよ。お腹がすいているんだよ」と手を差し出すバクシーシの老若男女が“私自身”に思えてきました。結局、私が働けるのは冬の最中の土木作業員。寒さに震えながら“もぐら”のように穴を掘りました。
人間苦しくなれば、楽しい世界を夢見るもの。私の元を去っていたミューズが、また耳元で『もぐらの日々』を書くようにとささやき始めたのでした。それは自分でも好きな物語となり、どこかへ、コンテストにでも応募してみようと思い投稿したところ、「一次選考を通過しました」の通知、そして「二次選考を通過しました」の通知、ついには「最終選考に選ばれました」の通知までとどきました。「これは、もしかしたら?」と期待をふくらませましたが、結果、入選には至りませんでした。そして実費出版のお誘いがありました。

朱鳥社との出会い

 さてどうしたものかとネットで出版社を検索、模索していて、ふと「朱鳥社」という名前に惹かれました。ホームページをみてみると「お気軽にご相談ください」とあります。「ならば!」と作品の経過を記し『もぐらの日々』を読んでいただいたところ「他にも作品がありますか?」と聞かれ、手元の作品をみなメールに添付して送ってみました。数日後、『氷つばめの秘密』への賛辞と出版見積もり書とが手元に届きました。内容はというと、「全額弊社で負担することはできませんが、この作品を世に送り出してみませんか?」というものでした。
そんなわけで私は、創作して4半世紀もの間、机の引き出しに眠っていた『氷つばめの秘密』を2004年に朱鳥社から出版し、さらに2年後には『雪うさぎの冬』を出版いたしました。本を2冊出版したところで日本児童文学者協会にも認めていただき、会員になりました。そしてこの春、3冊目の『エンデ森のカー』を出版いたしました。
今回は編集部からより多く指導をいただき、もともと普通の会話であったカラスの会話を物語の舞台である地元岩手の方言に書き直し、結果、出版予定より半年も長く指導を受けながら校正をかさねました。私のお気に入りである『もぐらの日々』も併録することができました。
そのうえ今回は地元の「岩手日報」さん、「広報きたかみ」さんが取材にこられて写真入りで大きく紹介してくださったばかりか、お隣宮城県の「河北新報」さんにはなんと書評を載せていただきました。さらには「FM岩手」さんがラジオで朗読を、北上の「東山堂書店」さんではサイン会と読み聞かせの会を企画開催してくださいました。その間、読者からのファンレターを頂戴できたことも大きな喜びでした。あれよあれよといううれしいなりゆきでした。
ちなみに3冊とも絵は植垣歩子さんが彩ってくださいました。掲載された新聞や広報紙のコピーやサイン会の際の写真などをお送りして、ともに喜んでくださっています。出版をすることで、こうした数多くの方たちとのうれしい出会いがありました。
出版に至る経緯と現在までを、こころのベクトルそのままに記しました。「どうしたら本を出せるのだろう……」「どこが親身に向かい合ってくれる出版社だろう……」と思案しつつ出版社のホームページを訪れ足跡を残す方たちに、率直に経過をつたえたかったのです。それは、以前の“私自身”そのものですから。
そして、私のこの人生が朱鳥社とともに歩めたら、と願うのです。


スナップ

37歳の時に訪ねたインドにて。

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2007年、インドのアジェンタを再訪して。

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地元の図書館でヒーリング音楽を聴きながら「エンデ森のカー」を書きました。

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2009年7月6日岩手日報に掲載される

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2009年7月24日広報きたかみに掲載される

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2009年10月12日河北新報に掲載される

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