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出版体験記

松田裕之

「電信士」という題材の発掘

 歴史とは、かつてこの世に存在した無数の人生が詰めこまれた世界。私はそこに足を踏み入れ、人生の森に遊ぶことをなりわいとしてきた。初めて出会うものもあれば、「知っていた」つもりが「肝心なところを知らなかった」ものにも多々出会う。

 「テレグラファー」も、そのひとつ。これをあえて訳すと「電信士」となろうか。

 ここ数年は、我が国やアメリカ合衆国における情報通信メディアの発展を探っている。さまざまな文献史料をひもとくうちに、電信士という存在が不思議なアウラを漂わせながら、頭の中で生き生きと動きだした。

 この職業の登場は19世紀半ば。あたかも人類史は、近代科学の成果たる機械文明を軸として、未曾有の大転換を遂げつつあった。それから約半世紀のあいだ、電信士は高度な知的技能職として、社会での成功を夢見る若者たちを惹き付けることとなる。

 けれども、今日、電信士のなんたるかを知る人はきわめて少ないのが実情。その経緯を調べるほどに、ある思いが胸に募ってきた。「これは歴史として書くに値するテーマ題材にちがいない」

アメリカ史の草むらに埋もれていた鉄道電信士マ・カイリー

 さて、こうなると、電信士関連の文献史料をあちこちから取り寄せねばならない。やがて続々と手元に本が届き、机の上はそれらで一杯になる。そのなかの1冊が、ふと私の目を引いた。
表紙に刷られていたモノクロ写真の主は、20代半ばと思しき女性。典型的なヴィクトリアン・ファッションに身を包んだ女性の澄んだ黒い瞳は聡明で、いささか鋭く、結んだ唇はやや肉感的。意志の強さと異性を魅了する愛嬌とをあわせもつ顔立ちだ。

 書籍の題名は『MA KILEY The Life of a Railroad Telegrapher』、つまり写真の女性は「マ・カイリー」という名の「鉄道電信士」であった。

 と、ここで、脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。1960年代前半の高度経済成長期、放送各社の番組制作力はいまだ未熟で、アメリカ直輸入のウェスタン西部劇が茶の間の人気を集めていた。

「そろそろ悪い奴が出てくるぞ」と晩酌をしていた父が呟く。そこで決まって画面に映ったのは、ハンチングをかぶり、鼻眼鏡を掛けて、よれた白いワイシャツに濃紺のネクタイ、サスペンダーでズボンを吊った初老の男性。

 父がいう「悪い奴」とはしかし、彼のことではない。この男の役回りは「悪い奴」の動向をいち早くキャッチして、「正義の味方」の保安官に知らせるというもの。そう、彼こそが鉄道駅に勤務する電信士なのだ。

 劇中、彼は不安と焦りの表情を浮かべながら電信装置の発する「トン・ツー」の音に聞き耳を立て、やがてそれを文章に翻訳した紙片(かみきれ)一枚を手に保安官のもとへと走りだす。少々メタボリックな体を揺するその姿は、視聴者のあいだに絶妙の緊張感を醸したものだ。おまけに、電信士は保安官に情報を知らせたことを逆恨みされて「悪い奴」の銃弾に斃れることさえあった。

 要するに、私の記憶の中にある鉄道電信士のイメージは「かなりヤバい仕事」というものだった。だが、なんと……。それをこなしていた女性がいる!? 私はいつしか憑かれたようにその本のページをめくっていた。

1世紀前のトレンディドラマの醍醐味

 こうして書き上げたのが『ドレスを着た電信士マ・カイリー』。私に幸いしたのは、出版元の朱鳥社が見識の高い女性スタッフで構成されていたこと。男性が女性の物語を描くときにしばしば陥りがちな偏見や誤解を的確に指摘・訂正してもらえた。

 19歳でシングル・マザーとなり、自活の手段として電信技能を独習、それからは電信士として腕を磨きながら息子カールを伴ってアメリカ各地の鉄道駅や電信局を渡り歩き、6度の結婚生活を経て、91歳で大往生を遂げたマ・カイリー。

 その生涯を辿りながら、つくづく「これは百年前のトレンディドラマだな」と思った。昨今、キャリアウーマンを主人公に制作されたドラマは高い視聴率を集めるが、マ・カイリーの物語にはその醍醐味がすべて織り込まれている。

 出版後まもなく、『日経コンピュータ』『鉄道ジャーナル』『出版ニュース』が、本書を好意的に紹介してくれた。また、インターネット上でも複数の読者から感想をいただいた。首都大学をはじめ、全国の図書館が蔵書として購入してくれた。

 「ああなんと爽快痛快面白い本であったことか! 昂然と誇り高いマ・カイリーの生きざまもさることながら、19世紀から20世紀にかけての電信事情や電信士の文化も紹介されているのが実に興味深いところ。マスト読むべき」(真理省さん)というブログでの賞賛もあり、「書くに値する歴史を描けた」という達成感を賜った。
ひとつの含蓄に富む言葉が、いま私の心にある。それは魯迅の短編『故郷』の一節。「思うに希望とは、もともとあるともいえぬし、ないともいえない。それは地の道のようなもの。もともと地に道はない。歩く人が多ければ、そこが道になっていく」―― マ・カイリーもまた、「あるともないともいえぬ道」=希望を探しながら、人生という坂を懸命に登った我らが祖(おや)のひとりではなかったろうか。

 最後に、次なる作品の出版を考えている。マ・カイリーはいわば専門技能職についたパイオニア的存在であるが、都市部の工場街には「飯の種」になる技能をもたないがゆえに、低賃金労働力として苛酷な搾取を被った移民が無数にいた。そうした産業社会の底辺に生きた男女労働者の実態に迫ったアメリカのベストセラー小説、アプトン・シンクレアの『ジャングル』を自分流に読み解きながら、現代の格差社会を論じてみようと思う。ご期待くだされ。


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マ・カイリーが使用したバグ電鍵の復刻モデルを操作中(神戸学院大学ポートアイランドキャンパスの研究室にて)

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バグ電鍵の復刻モデル

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ゼミナールの生徒たちとUCCコーヒー博物館を巡る

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2010年度歴史学研究会大会(5月22日/専修大学生田キャンパス)にて研究成果を発表中

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研究会での演題は次なる作品のテーマでもある「20世紀初頭シカゴ食肉工場街の労働と生活-支配と変革の接点を探る-」